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■■■アマゾンなどで、予約受付中!
この本は、「中村天風」の本を色々と書いてきた、
清水克衛、沢井淳弘、池田光の三人が、熱い思いを込めて書きました。
しかし、一般書店には置いていません。
アマゾンとか、本心庵のサイトなどで販売しています。
11月21日発売で、現在は予約受付中です。
★くわしい情報は、プロコンサイトで。
http://www.pro-con.jp/tenpu/index.html
■■■実践にテーマを絞った本 ~「はじめに」から~
なぜ今、天風哲学の実践なのでしょうか。
答えは簡単明瞭です。
天風の教えのなかでも、もっとも重要な核心部分が、いままで世に出たことがないからです。
世に出たことがない、というのはやや語弊がありますが、今の若い人たちにわかりやすく解説された本がない、と言ったほうがいいでしょう。
実は、天風の教えはまだ世間にじゅうぶんに伝えられていないのです。
■■■各論に焦点を絞った本 ~「おわりに」より~
多くの本が大同小異という内容で、「中村天風 総論」というものばかりでした。
そういう本しか書けない著者が多かったとも考えられます。
この状況に、私(池田光)はいささか疑問を持っていました。
そして、「中村天風 各論」というべきものが、そろそろ出版されてもいいのではないかと、考えていました。
そんな折、尊敬する沢井淳弘先生が『中村天風から教わった やさしい瞑想法』(プレジデント社)を出版され、一読した私は、中村天風式の瞑想法だけにテーマを絞った「まさに各論が出た!」と、膝を打ちました。
さっそく、沢井先生に連絡をとり、「天風哲学に関する各論ばかりの実践的な本を出版したい」と相談し、本書を共著で執筆することになりました。
その際、爆発的に中村天風の本を販売している「読書のすすめ」店長の清水克衛氏にも声をかけさせていただきました。
「読書のすすめ」は、東京都江戸川区にあり、テレビにも多数出演している清水店長は本のソムリエとして著名で、清水店長がどのように天風哲学を実践されているのかを語っていただきたいと考えたのです。
■■■著者紹介(この分野で売れている作家ばかりです)
★清水 克衛 (しみず かつよし)
書店「読書のすすめ」店長、NPO法人読書普及協会理事長。
「エチカの鏡」をはじめ、「王様のブランチ」「DON!」「火曜サプライズ」などのテレビに出演して大人気!本のソムリエとして、中村天風の本などを紹介する。
監修・著書に『本屋さんがくれた奇跡』(イースト・プレス)、『強運道』『本調子』(総合法令出版)、『5%の人』(サンマーク出版)などがある。
★沢井淳弘 (さわい あつひろ)
京都産業大学名誉教授。
十八歳のとき、心と身体の真の健康を確立する方法として「心身統一法」を創案した中村天風からヨーガ式の瞑想を学ぶ。以後、十二年間にわたって、中村天風の薫陶を受ける。
編著に『心を空にする 中村天風「心身統一法」の真髄』(財団法人天風会監修、飛鳥新社)、『中村天風から教わった やさしい瞑想法』(プレジデント社)などがある。
★池田光 (いけだ ひかる)
経営コンサルタント。株式会社プロセスコンサルティング代表取締役を務めるかたわら、「成功哲学」「中国古典」に親しみ、執筆を行う。天風会第四代会長・杉山彦一から教えを受け、そのもとで心身統一法の指導にあたる。
著書に『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』『中村天風 口ぐせにしたい「奇跡の言葉」』(三笠書房)などがある。
■■■もくじのご紹介
はじめに 天風哲学を実践しないなんて、もったいない!
第1章 今だからこそ、読んでみようよ (清水克衛)
第2章 天風式「自己暗示」のしかた (沢井淳弘)
~唱詩のすすめ
第3章 天風式「瞑想」のしかた (沢井淳弘)
~十五分でできる心の整理法
第4章 天風式「五感の研きかた」 (沢井淳弘)
~認識力を高め、心を豊かにする秘訣
第5章 天風式「問題解決法」 (池田光)
~壁を壁ではなくす考えかた
おわりに 本書の出版について
中村天風 略年譜
■■■最高の本!(と思っています)
この本は、著者の一人である池田光、つまり私が、
プロセスコンサルティングから発行した本で、
「熱い思い」を込めることを優先し、
100冊以上もある中村天風に関する本のなかで、
いちばん役に立つ本を書くことをテーマに、
現在、いちばん活躍している作家にお願いした本です。
■■■この本の概要
著 者 清水克衛、沢井淳弘、池田光
出版社 プロセスコンサルティング
版 型 B6判、240ページ
価 格 定価(本体1600円+税)
■■■この本の特長
① 人生やビジネスで発生する「困ったこと」に対する処方箋がある。
② 天風哲学を、実生活に活かせ、人生を充実させることができる。
③ 今までにない観点からの、天風哲学の深堀本である。
④ 中村天風に関する本を、数多く書いている著者である。
⑤一般書店では販売していない。
★装丁も気にいっています。
アマゾンなどで、ご覧ください。
■『論語』に、こんな言葉があります。
鳥のまさに死せんとするや、その声哀し、
人のまさに死せんとするや、その声善なり。
つまり、人間は死ぬときには、真実のことを述べて死ぬ、ということです。
■菅首相を、期限付で応援をしたいと思います。
菅内閣はまさに死の間際です。
どんどんと支持率は低下し、
マスコミは言いたい放題です。
しかし、僕には、
「菅首相のまさに死せんとするや、その声善なり」
と思えるのです。
菅首相が現時点でやっていることは、
国民の将来において、善なることです。
僕は、年内は菅首相を応援するのが良いと考えています。
次の首相に代われば、
現在において、国民が支持することをするでしょうが、
将来において善なることとはかけ離れると思えてなりません。
菅さんへの突き上げが厳しい。
ここまで閣僚たちが離心したら、
もはや先はないだろう。
願わくば、
「再生可能エネルギー特別措置法案」
が通過すること。
これが通らないと、孫さんの電力事業が実現しない。
孫さんが参入してくれたら、まだ希望が見える。
電力会社の権益を守ろうとしている経団連は、
「再生可能エネルギー特別措置法案」に反対し、
孫さんの参入を阻止しようとしている。
原発については、誰もが口当たりの良いことを言っているが、
これは「総論」であって、
実行段階での「個別論」では、
原発推進の方向になることが多い。
孫さんのメガ太陽光エネルギーは個別論だが、
個別論になると、経団連のように反発してくる勢力がある。
この瀬戸際に花をさかせて、
菅さんに退陣してほしいものだ。
閣僚の猛烈な突き上げにより、
菅首相は、
「脱原発は首相の個人としての意見であり、政府方針ではない」
としました。
ここから、
①閣内が不一致である
②閣僚の多くが「脱原発」に慎重である
(各閣僚たちの表現はうまいですが、よく聞くと、脱原発に微妙な反対をしてます)
ということが見て取れます。
(多くの政治家は、おそらく、脱原発の民意に配慮しながらも、
経済界などの声を反映して微妙な原発推進をすると思われます)
ここまで追い込まれて、どうなるのか。
・菅内閣の支持率がアップすれば、
あるいは上昇傾向が見られれば、
菅さんは息を吹き返すでしょう。
・しかし、事ここに至って、
もはやリーダーシップはゼロだと思います。
「脱原発」という菅さんの方針ほど、
猛烈な突き上げをくらったものがないということは、
よほどこの方針が困るのでしょう。
なんとしても、菅さんの個人的意見にする必要があったのでしょう。
原発推進の勢力、強しというところでしょう。
「脱原発」は常識だと言う人が多いけれど、
常識通りにはなかなか行きませんねえ。
僕は、人心が離れたリーダーはもはやリーダーシップを発揮できない、
と考えております。
まさに、今の菅さんがそうです。
だから、「菅おろし」になっているのだと思います。
が、他方で「菅おろし」はヒステリックな現象でもあります。
ところで、菅さんをおろすことで、どうなるのかというと、
次のリーダーを国民が吟味せずに交替したときには、
原発を推進する可能性が高くなるだろうと思います。
すると、
・短期的には良くなるだろうが、
・中長期的には最悪になる(←これが致命的)
という観測が立つのではないでしょうか。
僕は、人類に決定的な事故が起きた現在、あえて、中長期的な展望に立つことが大事であって、
菅さんにもう少しやってもらいたいと思っています。
(マスコミは、脱原発は当たり前で、菅さんの記者会見はロードマップも
なく、当たり前のことを言っただけだと酷評していますが、そんなことはありません。
国民が当たり前だと思っていることが、利害関係が複雑にからんだ政治と経済
の世界では、原発を動かす勢力のほうが高くなると見えます。
政治も経済も短期的な行動が高く、しかも利権を守ろうとします。
つまり、当たり前のことが、当たり前でなくなります。
そんな中にあって、菅さんのあの発言はやはり決定的なインパクトです)
では、国民は次のリーダーを吟味して、自らの手でリーダーを選ぶことができるのかというと、現在の政体ではそれは無理です。
となると、バクチのような首相交代より、
もう少しの間、菅さんに頑張ってもらって、
場当たり的な評価をするマスコミにのらないで、
ここは菅さんを応援して支持率を上げ、
一定期間が終了したら、次のリーダーに交替するというのが良いのでは。
しかも、その際か次の際には、民主党政権ではなく、政策中心の政権再編のうえでのリーダーが望ましいというのが僕の期待です。
(次の際に政権再編が起こると、この課題山積の時期に混乱が高まるかもしれないので、次の場合は小規模な再編くらいが望ましい…)
今朝(7/14)の朝日新聞の12面社説の、
松下秀樹氏「『菅おろし』にみる政治の病」を読んで、
我が意を得たり、と思いました。
少し、抜粋します。
■「いずれは脱原発」と考える私(松下氏)からみれば、
菅さんの言っていることは、そうずれてはいない。
■「とにかく辞めろ」と騒げば、
原発を守りたい人たちと同じ動きになる。
脱原発に向かう次のリーダーの目星もつけずに
菅おろしを急げば、原発推進派を利する。
合理的ではない。
■次の政権を「つくる」ための議論より、
「おろす」ことに血道を上げる。
そんな理性的でない対応ことが、
日本政治の病理であり、
短命政権と政治を招いてきた。
私もまったく同感で、
マスコミの菅おろしには、ずっと違和感がありました。
たとえば、脱原発に賛成している人が、
ストレステストに反対するのは、
信じられない自己矛盾です。
実際は、そんな人が多いのです。
これは、菅さんの都度都度の行動に単純反応をしている
だけではないでしょうか。
菅おろしに血眼になるのではなく、
この国をどうしたらいいかの視点から、
・冷静に、
・合理的に、
・一貫性をもって、
対応すべきだと思っています。
僕は、「脱原発」の観点から、
好きではない菅さんを
一定期間は応援したいと思っています。
僕が見るところ、
マスコミが首相候補にあげている人たちの多くが、
日頃の言動から、
「原発を推進する」
と見ています。
たとえば、僕は前原さんは好きなのですが、
しかし彼は、原発を推進すると思います。
だから、今は、菅さんなんですね。
「次の首相は誰か」から判断すると、
単純に「菅おろし」に同調できないというのが、
僕の思いです。
どうやら、
関東の電力は、原発無しでも足りるようだ。
原発反対の学者たちが、
「現状で、原発がなくても、電力は足りる」
と言っていたが、それは本当だったようだ。
今、報道ステーションを見ていて、
東電社長が、
「関西が電力不足になるなら、電力を融通できる」
と言明。
7月下旬には、原発事故前の電力供給水準に復帰できるそうだ。
しかも、埋蔵電力の活用は消極的で、
したがってまだ余剰電力があるという状況。
つまり、東電では、電力余り状況が発生しつつある…
この夏場を越えたら、完全な電力余りになるだろう。
だからといって、我々はこのまま、節電社会を構築し
節電を続けていきたいものだ。
おそらく、関西でもそうだろう。
原発がなくても電力は足りるにちがいない。
ぼくの推測では、電力会社は、節電の風潮にマーケット縮小の
焦りがあるのではないか。
当初は、「電力不足の解消=原発の稼動」というロジックで
原発を動かそうと画策したが、
皮肉にも「電力不足の解消=節電」という方向に社会が動き出し、
電力会社は自分で自分の首を絞めてしまったのだろう。
原発はなくても、
・電力会社の火力、水力などの発電でほぼ足りる
・しかも活用されていない埋蔵電力が、原発を上回るほどある
・節電によって需要が低くなった
という要因により、現時点において大丈夫だと言える。
しかも、
・孫さんが新たな電力開発に動き出した
という状況を加味すると、
原発はなくてもやっていけるという認識が高まるだろう。
さらに追い討ちをかけるのは、
・原発のコストが、当初電力会社が言っていたより、
3~5倍くらいは高い→高コストであった
という事実がある。
本当は、どこまで高コストなのかは分からない。
今回の事故処理まで含めると、当然、5倍や10倍ではすまない。
そして、原発はCO2を出さないクリーンな電力であるというのも
ウソで、燃料棒を作るまでの前工程では膨大なCO2が発生する。
電力会社がクリーンだと言っていたのは、この燃料棒を使って
電力をつくる後工程だけの話である。
そして、この夏場が終わると、
電力会社は、節電によるマーケット縮小で売上げが減る
という頭の痛い問題が発生してくるのではないだろうか。
あっ、東電社長の驚くべき「電力余り」発言を聞いて書きすぎました。
さきほど、菅首相は、
「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に原発依存度を下げる」
と記者会見しました。
「やっぱり」
というのが僕の感想です。
・後出しでストレステストの導入
・経済産業省の権益を代表する海江田経産相との不和
どちらも菅首相のしたたかな、しかも裏切りっぽい対応でしたが、
その背景には、脱原発を想定しないと説明がつかないと仮説を立てておりましたが、
さきほどの記者会見を見て、
「やっぱり」
と感じました。
菅首相には、多大なマイナスはあるけれども、
他方で原発稼動の勢力は強く、
そんななかで菅さんが首相を降りれば、
次の首相は、なんだかんだと言いながら原発を稼動させる可能性が高い
と僕は思っています。
いろんな問題があることは承知していますが、
「今は、菅さん、頑張れ」
と応援しています。
電力についての基礎データがほしい。
それも、経産省のようなフィルターや、
さらには、電力会社のフィルターがかかっていないデータが……
信頼できる第三機関が
『電力白書』を出してくれないものだろうか。
まあ、無理でしょうね。
というのも、電力会社が情報を握っていて、
それを出す際には、ほとんどが黒塗りだと言いますから。
つまりブラックボックスです。
少なくとも、我々がやってはならない思考は、
電力不足の解消 = 原発稼働
という、短絡思考です。
いま、電力会社は既得権益を守るだめに、
なりふりかまわぬ行動に出ています。
「ストレステスト」でも何でも、
使える手はどんどん出して、
待ったをかけることです。
そして、フェアな情報を揃える環境づくりをして、
フェアに電力問題に取り組むべきでしょう。
あれだけの原発事故が発生し、
まだ、安定した解決に至らず、
しかも今回の事故をふまえた抜本的な安全基準も構築されないままに、
「原発を子供だましのチェックだけで見切り発車しよう」といった、
原発稼働への勢力が強いことに驚きを隠せません。
これに対して、菅首相は、
「ストレステスト」といった時間稼ぎをして、
原発稼働勢力を抑えているように見えます。
現在、菅首相への支持が低下し、
退陣への圧力が高まっていますが、
もし菅首相が辞めたら、どうなるのでしょうか。
原発稼働への勢いが高まるように感じられてなりません。
菅降ろしは、誰かが煽っているのでしょう。
マスコミもそれに乗っていますが、
このような動きは、他方で我々の首を絞めることになるのではないでしょうか。
これだけ世論が「原発を減らしていこう」という方向に傾斜していながら、
菅首相が後出しで「ストレステスト」を持ち出したことを歓迎するどころか、
非難していることが不思議でなりません。
とにかく菅首相には、電力を寡占状態にするのではなく、
自由化の第一歩となる法案を通していただき、
電力問題に一定のメドをつけるまで頑張っていただきたいと思っています。
ちなみに、僕がこれまで民主党には一票も投じたことがないのは、
菅首相たちが好きではないからですが、
現状では頑張ってもらわないといけないと思っています。
そして、電力問題に一定のメドがつけば、
すみやかに退陣いただきたいというのが僕の思うところです。
★小出裕章『原発のウソ』が、NHKBSのブックレビュー1位だったのが、嬉しい。
「真実を知る」ことから、スタートしたいものです。
この本が真実だとは担保できませんが、
少なくとも我々はこれまで「電力会社のウソ」に騙され続けてきました。
それを解消するには、このような本を読むことでしょう。
昨日の「沢井淳弘先生のセミナー」は,
僕にとっては、とても懐かしいものでした。
沢井先生のお話をうかがいながら、
僕は、30年ほど前、
天風会修練会の輔導として、
六甲山の山腹の禅寺で
走り回っていた頃を思い出しました。
その思い出が湧きあがってきて、
つい、
山のなかを走りまわったことや、
養動法、アサナ法などを
輔導として指導していたことなどを
話してしまいました。
ご参加のみなさまは、
直接、中村天風先生に接し、その教えを受けられた
沢井先生の「天風像」に興味しんしんのご様子でした。
本では伝えきれないものが、
伝わってきたように思います。
また、沢井先生にお持ちいただいた「さはり鈴」の音色は、
ほんとうに素晴らしかったですね。
僕も欲しくなりました。
チーンと一分間も続く音色には驚きでした。
さて、次回は、9月に沢井先生を囲んで、
「天風式の瞑想」などを
やってみたいと思います。
さはり鈴で瞑想するというのは、
素晴らしい体験になると思います。
いずれ、近く、9月のご案内をさせていただきます。
ありがとうございました。
あの日から、
日本は、放射能のない国から、
放射能で汚染された国へと
変貌してしまいました。
僕たちは、これから先、何十年も放射能と付き合って
いかなければならなくなりました。
そこで、すべての人にお薦めしたいのが、
小出裕章 『原発のウソ』 扶桑社新書 740円+税
アマゾンで調べると、2位でした。
待ち望んでいた新刊だったのですね。
読むのに2時間もかかりません。
僕は、この本の知識をみんなで共有したいと願います。
回し読みでも、何でも、とにかく読んで頂きたい本です。
僕たちは、電力会社にダマされていたことがわかりました!
月に1回ほど、
読書会に参加しています。
最初に参加したのは、
神戸北野のスターバックスでの読書会。
朝、10時に10人くらいが集まって、
それぞれが持ち寄った本を紹介します。
一巡したら、それらの本をみんなで手にとりながら、
質問などが活発に出ていました。
5月に参加したのは、
大阪のロンドンティールーム堂島本店での読書会。
夕方7時に10人くらいが集まりました。
どちらも、喫茶店というのがミソです。
オープンな場所なので、
集まりやすいんですね。
参加費は、お茶代だけ。
ネットで告知して、
見知らぬ人が喫茶店に集まって、
一期一会の読書会を催す。
こんな喫茶店の活用はいいですね。
とても楽しい2時間のティータイムです。
で、次回は、6/4、朝10時からの読書会に参加します。
場所は、ロンドンティールーム堂島本店です。
帰りに、向かいのジュンク堂に寄る予定。
テレビに出ている評論家という人たちのうち、
数人を除いて、僕はいい加減だなと思っております。
また、評論家が変なことを言っていました。
「浜岡原発停止要請は、民主主義的な手続きを踏んでいない」
と。
■首相の浜岡原発停止要請は、民主主義的手続きを踏んでいない
という批判をどう見るか
僕は、浜岡原発停止要請は、英断であったと思っています。
英断とは、現在のさまざまな利害関係者のエゴを超えて、
将来を見据えた戦略的判断を行うことです。
戦略的というのは、
・全体性
・長期性
を踏まえるということです。
今回の要請は、そのような判断であったと思います。
評論家たちの多くが、浜岡原発停止要請を是認するけれども、
民主主義的な手続きがなっていないという批判をしています。
僕は、この世の大半の問題は、民主主義的な手続きを踏むことが
大切だといういう点では同意します。
しかし、今回の問題は、ドクターストップ的な手続きでやるべき問題
ではないでしょうか。
ドクターストップとは、その道の専門家が判断するということです。
それは命の危険にさらされているからです。
浜岡原発は、日本の命にかかわる問題であり、
だからこそ、異例とも言えるドクターストップをかけたと見るべきです。
こんなときに、原発の利害関係者たちの意見(たとえば、原発に依存
している人たちの生活ために、原発は停止すべきではない、などの
意見)を集約していたのでは、時間がかかり過ぎます。
また、民主主義的な判断とは、利害関係者たちの意見集約が
実態であり、
利害関係者の意見集約は、専門家の判断と反することが
よくあります。
専門家から見て、正しい結論が出るとは限りません。
今回の問題は、日本を危険に陥れないために、専門家の判断を
重視すべきでしょう。
だから、ドクターストップなのです。
しかし、菅さんの要請は、本当にドクターストップだったのでしょうか?
じつは、あやしいです。
ドクターストップの根拠は、専門家の判断です。
菅さんが、専門家を集めて、その意見集約をしてドクターストップを
かけたかどうか、あやしいと思っています。
実際は、人気取りのための判断ではなかったか……
■菅さんにプレッシャーを徹底的にかけつつ、続投させるべき
僕は、民主党を支持していません。
菅政権も支持していません。
しかし、現状を考えるとき、菅さんに続投してもらうしかないと思っています。
期限は、民主党の政権が終わるまでです。
前にも書いたように、僕の期待は、志ある政権再編です。
志があるとは、政策中心での政権再編です。
これを期待したいと思っています。
それまでは菅さんに続投してもらうしかないと思うのですが、
ただ、放置すると変なことをしますので、
徹底的に菅さんを監視してプレッシャーを与え続けることです。
政府は、
「国家公務員給与を1割前後引き下げる方針を固めた」
ということですが、
これは、震災直後から、僕は欲しいと思っていた言葉でした。
この言葉なくして、
国民負担となる震災復興のための資金づくり
はあり得ません。
「復興税」という言葉が出るたびに、なぜ政治家や国家公務員が
まず身を削らないのかと不信に感じていました。
が、ようやく政府のいろんな政策が、
ピントが合ってきているように思います。
僕は、
①民主党を支持しない。
(また、自民党も支持しない)
②しかし現内閣は、当面は継続すべきである。
と考えています。
菅さんは、少しずつですが、ピントが合いつつあるように感じます。
僕は民主党に一度も票を投じたことがありません。
ここまで滅茶苦茶になるとは思っていませんでしたが、
当初から、民主党が政権をとると、おかしなことになると想定していましたので。
そこで、みんなの党をとりあえず支持していたのですが、
みんなの党が政権をとるのも良くないと考えております。
震災復興への目途がついたら、現内閣の役割は終わり、
その後は、政権再編が望ましいと考えるものです。
これだけ支持できる政党がないのですが、
わずかですが、支持したい政治家は各政党にいます。
そこで、政策をベースに政権再編することが望ましいと考えるものです。
それまでは、菅さんに頑張ってほしいというのが、僕の願いです。
昨日のブログで、
「エネルギー政策が見えなくなりました」
と不満を書いたのですが、
なんと本日、菅さんから、
・自然エネルギーを、エネルギー政策の柱に加える
・省エネ型のライフスタイルへの転換を図っていく
という言葉ができました。
また、原発の今後の方向については明言しませんでしたが、
その態度は正しいと思います。
ゆるやかなエネルギー政策の転換でないと、
社会は混乱してしまいます。
ということで、僕は満足しています。
ただ、菅さんの唐突な言葉には、振り回され通しです。
「浜岡原発中止 要請」
の理由を、
地震発生確率が、30年以内に87%と緊急性が高いから、
ということを政府はあげられたが、
それはそれで納得です。
ただ、中途半端なのは、
その他の原発は安全なので運用していく。
また、休止している原発も一定のチェック後は
再開していく、と言明されたことです。
この中途半端な発言によって、
停止の「基準」が非常に曖昧になってしまいました。
また、エネルギー政策が見えなくなりました。
どうして、次のように言ってくれなかったのか。
①浜岡原発は、大地震発生率が高いから、
緊急措置として、まず中止要請する。
②その他の原発については、わが国のエネルギー政策
の検討を通じて、●か月以内に方向性を決める。
場当たり式の政策の連続で、僕が「イラ菅」になりそうです。
浜岡原発停止 要請
は、
菅首相がやった数少ない正しき政治主導として、
僕は支持いたします。
誤解がないよう付記すると、菅内閣は支持できかねております。
というより、民主党を支持する理由が見当たりません。
これは、ともかく、
浜岡原発停止 要請
の意義を、いろんな角度から議論することが、
わが国のこれからのあり方を決めるにあたって、
大いに益するところがあると想うものです。
停止するよう要請してから、議論する。
これは、停止を要請しないで、議論するのとは、
まったく違います。
これこそが、欲しかった政治主導です。
僕は、議論することが、これからの新しい日本づくりに向けて
みんなの発想の合意を得ることだと思っています。
浜岡原発停止 要請
英断であったと思います。
内容を見ることなく、
その本の帯の言葉を読んでネットで注文し、
その本が本日届きました。
(書名は伏させていただきます。
また、この本は大型書店にも置いていませんでした))
その本は、『論語』をある観点から現代語訳したものです。
帯にはこうありました。
「論語は成り立ちが古い上に、文章が極端に簡潔であるため、
不分明な箇所、誤解をまねきやすい箇所が少なくない。
著者は、或いは字源にさかのぼり、或いは漢文法により、
或いは思考を重ねて、20年にわたり孜孜として
その解明に努めたが、本書はその苦心の作である」
と。
帯の言葉は、学究的なものです。
実際、『論語』は簡潔なために、いろんな解釈ができます。
それは、『論語』の解釈史が証明しています。
だから、字源にさかのぼるということは、
正しい道筋だと僕も思いました。
そして、この本を求めたのです。
ところが、その本を開いて、唖然とせざるを得ませんでした。
著者はあとがきにこう書いています。
「古代文章の簡潔さが、解釈に当たる私をしばしば立往生させた。
諸先輩の注釈書に徴してもその種の疑問は解けないのが常であった。
そういう場合は漢字の字源に遡るほかないので一々辞書に当たることになった」
とあります。
では、なぜ、僕は唖然としたのでしょうか……。
諸先輩の注釈書とは、著者が凡例でかかげている、
現代の日本の学者たちが訳した『論語』の現代語訳8冊のことのようです。
また、辞書とは、主に白川静の『字通』のことのようです。
このあとがきを読んだ時点で、僕は、期待はずれの一冊だと知ると同時に、
きっちりとした学問を経ることなく、独学でまじめに『論語』を勉強した
哀しい軌跡のようなものを読みとりました。
……そりゃ、現代語訳の『論語』を読んでも、なんでこんな訳になっているのか、
わからないのは当然です。
この「当然」という理由は、追い追い判断してください。
さて、著者は諸先輩の注釈書と、『論語』の原文とを読み比べ、
「なぜ、こんな訳になっているんだろう……」
と頭をひねっては、白川静の『字通』などの辞書を片っ端から
引きまくりました。
悩んでは、、いつも横に置いている辞書を引き、
「あっ、この字には、こんな意味があったのか」
と感涙していたのだと推察いたします。
この期間が20年間です。
59歳で一念発起し、来る日も来る日も、辞書を引きまくりました。
余生のすべてをかけて、辞書を片手に『論語』を解釈したのでした。
あとがきにもあるように、ある「字」を理解するのに数時間かかり、
疑問が氷解したときには、その新説を娘に話して聞かせたそうです。
「お父さん、それはぜひ、書きのこすべきよ」
と娘は、本当に感動したのか、あるいはお父さんを喜ばすためか、
そう答えたそうです。
こうして、この本は成りました。
ところで、著者は、
「① 現代語訳の疑問 → ②辞書で解決」
という道筋で独学をされたのですが、これが短絡的な方法だったの
ではないかと僕は思います。むしろ、
「①現代語訳の疑問 → ②古注や新注などによる文献的理解」
と進むべきだったのです。
僕は、帯の言葉から、古注や新注などによる文献的理解によって
字源に遡ったのだと誤った認識をしてこの本を買ってしまったのです。
この本は、572ページに渡るハードカバーの立派な本です。
書名も、学究的なものです。
価格も、3990円と立派な価格です。
一例をあげてみます。
『論語』に、
「三年学、不至施穀、不易得也」という章があります。
この「穀」という字を、
どう訳せばいいのかが問題になるところです。
ところで、古注には、「穀」の字は「善」という意味である
という注釈があり、古来から日本では、
「不至施穀」を
「よきに至らざる」
と読みました。
「穀=よき(善)」とは辞書には出てきません。
『論語』の古注(何晏の『論語集解』)にあたらないと、
字源は理解できないのです。
果せるかな、著者は、
穀=よき、とは理解せぬまま、
『字通』を引いて、「穀=棒給」と分かって喜び、
棒給から「就職しないで」と現代語訳しました。
ところで、この現代語訳は正解です。
学者の多くもこのように訳しておられます。
つまり、著者は『字通』を引いて、
現代の学者による8種類の訳から
辞書から判断できるかぎりにおいて、
「この訳が、辞書による字源に適っている」
と選択していったのです。
ただ、それだけをやった本に過ぎません。
『論語』の解釈史を経た字源的理解がないだけに、
非常に偏った本になっていることは否めません。
余談ですが、「穀=棒給」なのは、
昔は、お金ではなく、「穀物」で報酬を得たからでしょう。
『論語』を読むと、そういう用語使いが多々見えて、
興味が尽きません。
ところで、『論語』をどう解釈するかですが、
解釈するに当たって、解釈者の思想を色濃く反映させるというのが、
僕は一つの好ましいやり方と思っています。
この大業を果たしたのが、
宋の大儒・朱子です。
朱子は、自らの思想から『論語集注』という注釈書を書いて、
朱子学を開きました。
現在、この『論語集注』は新注と呼ばれています。
ちなみに、私たちから見れば、
1177年に出た『論語集注』は古いものなのに、
なんで新注(新しい注)なの?と思ってしまいますが、
古注の何晏の『論語集解』は、190年出たものですからねえ。
つまり、1000年も古い注釈が、「古注」なんですねえ。
ちなみに、この本の思想は、
「なぜ、諸先輩はこんな訳をしてるの?」
という問題意識から、場当たり的に辞書が許容する範囲で
『論語』を現代語訳したというのが、
思想と言えば、思想のようなものです。
では、現代の人物で、自分の一貫した思想を反映させた、
素晴らしい現代語訳をしたものにどんなのがあるのでしょうか。
僕の読書範囲は狭く、2点あげるのが精いっぱいです。
①武者小路実篤『論語私感』
「私感」と銘打っているように、実篤流の素晴らしい訳で、
僕は感動せざるを得ませんでした。
②渋沢栄一『論語講義』
これは素晴らしいものですが、昔の言葉で読みづらいです。
現代語訳が出ていますが、僕には納得できない訳し方です。
以上が、本日、この本を手にした僕の感想ですが、
著者の20年間の努力には敬意を払うものであります。
このゴールデンウィークに、
橋本秀美 『論語 書物誕生・あたらしい古典入門』 岩波書店
を読み、『論語』の奥深さを心いくまで堪能でき、
僕は数十年ぶりの最大級の感動を得ました。たぶん……
僕の読書感動史は、次の通りです。
①小学校3年のときに、『十五少年漂流記』を十数回読み、
僕は無人島の空想世界に住んでいたこと。
目をつぶれば、いつも空想世界に行くことができました。
その世界は、リアル世界と同じほどの現実感がありました。
②中学生のときに、バロウズの『火星のプリンセス』のシリーズ(全11冊)
を読み続け、発売されるのが待ち遠しくて、
発売されるや、その日のうちに読み終えていました。
一冊読み終えたある夜、裏庭に出て、夜空の星々を見上げて、
「僕に冒険とロマンスを与えよ」と祈りました。
③高校生のときに、『星の王子さま』を読み、
大人とはなんと感性のない人間なのだろうと
自分が大人になることを懼れもしました。
④高校を卒業してから大学入学までの間は、とても読書の実りがあり、
世界の名著の『プラトンⅠ』やサルトルをなど読んだり、
読むものがどんどん吸収できた時期です。一日中読んでいました。
この時期に、論理学の書物を数冊読んで、慣れない哲学用語を
吸収しようと苦闘していました。
また、ボーヴォワールの『人はすべて死す』には感動しました。
⑤大学一回生のときに、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を
丹念に読みました。読み終えたとき、僕は新しい世界観を得て、
世の中が違って見えました。こんな感想を得ました。
「この読書は、厚い壁にキリで穴を開けるような作業で、
穴が開いたときに、その穴から覗いた世界は、
まったく違った世界であった……」
⑥大学時代も読書の実りが多く、
コリン・ウィルソンの『賢者の石』をはじめとする著作
カルロス・カスタネダのドンファンのシリーズ
九鬼周造の『いきの構造』などの著作
西田幾多郎の『哲学概論』
などにのめり込んでいました。
⑦社会人になって、二十代の頃に経営学の本を初めて読みました。
野中郁次郎の著作は経営学の面白さを教えてくれました。
彼の講演を聞いたり、とにかく出版されるたびに読みました。
やがて、伊丹敬之の『経営戦略の論理』の初版が出ました。
夢中で読みました。経営戦略に関する仕事がしたいと
経営コンサルタントになりました。
……それから、数十年間、最高級の感動をする本に
出会わなくなりました。
もしかしたら、僕の感性が鈍くなってきたのかもしれません。
小さな感動の本はいくつもあるのですが、
僕の人生を揺るがすような最高級の感動する本がありません。
そして、読んだのが、『論語 書物誕生・あたらしい古典入門』です。
現時点では、もしかしたら、最高級の感動本と言えるかもしれないと
期待しています。
この本は、二部に分かれていて、
一部は、論語という書物がどのような歴史をたどって成長してきたかを
とてもスリリングに紹介しています。
『論語』2500年の歴史のなかで、漢代の記述は目もくらむほどの面白さ
でした。
前漢の鄭玄(じょげん。ていげん、とも読む)の『鄭注論語』を
ここまで描いた本を見たことがありません。
それは単に、僕がこの世界を知らないからですが……
(平凡社から『鄭注論語』の本を出された金谷治『論語と私』に、
「『論語』の注釈」という文章があって、鄭玄のことが生き生きと描かれて
いるのですが、僕はその本を読んだときはよく分かりませんでした。
お恥ずかしながら……)
二部の、鄭玄の『鄭注論語』(前漢)、何晏(かあん)の『論語集解』(後漢)、
朱子の『論語集注』(北宋)の三冊で、『論語』の解釈を比較しています。
これは、推理小説を読むような面白さで、知の高みにクラクラと
立ちくらみしました。素晴らしい……
ただ、『論語 書物誕生・あたらしい古典入門』で感動するには、
少し基礎的な知識はいると思います。
どんな知識かというと、
・基本的な中国思想史の理解
・基本的な『論語』の理解
です。
中国思想史で、僕が感動した本は、
森三樹三郎の『中国思想史』上下巻です。
新書版で比較的読みやすいです。
特長は、仏教と儒教との復興と衰退が描かれ、
興味が尽きませんでした。
この本を読めば、『論語』についての理解も備わると思います。
以上のような準備をして、
『論語 書物誕生・あたらしい古典入門』を読むと、
その面白さにびっくりされると、僕は思っておりますが、
まあ、読書は人によって違うので保証の限りではありません。
もう少し書くと、『論語 書物誕生・あたらしい古典入門』は
速読できる本ではありません。
丹念に読まないと、ロジックが見えなくなってしまいます。
しかしそれだけの価値がある本だと僕は信じています。
テレビを観ていて、
どうも変だという情報を
意図的に流しているように見えます。
それは、消費の自粛か、自粛しないかの議論なのです。
震災直後は、被災地のことを思って、自粛しようという流れになりました。これはその時期には正しいと思います。
しかし、そうすると「消費低迷による日本活性化の阻害になるところから、自粛をやめてどんどん消費しよう」ということが評論家みたいな人たちから言われだしました。
これで、みんな、納得するんでしょうか?
どうも、極端から極端へと動いています。
ポイントは、「何を自粛し、何を自粛しないか」です。
僕は、電力と無駄を自粛というか、減らしたほうがいいと思っています。
また、必要なものは、自粛する必要がないと思っています。
特に、電力を自粛するのは、原発を減らしていく方向が良いと思っているからで、そのためには電力消費を減らしていくことなのです。
で、電力を減らすには、どうするかというと、そこに省電力の生活を支援する新たな事業が生まれ、その分野での消費が増えていきます。
こうすることで、僕たちは、ライフスタイルを変えようとしているのだと思います。
現在は、歴史的な転換期にあるのではないでしょうか。
ところで、「自粛をやめて消費しよう」という評論家の話は、これまでのライフスタイルを前提にしています。
こんなに大きな災害があったのに、僕たちの価値観が変わらないというほうがおかしい。
そんなことを無視した、一方的な「消費しよう」の訴えかけは、せっかく僕たちが変わろうとしている歴史の胎動を阻止するものだと思います。
(まあ、歴史はどんなことがあろうと変わるときには変わるものですが……)
渋沢栄一は、中庸を説きました。極端な意見はどちらも正しくなく、中正のところに真理があるということです。
テレビは、世の風潮に流されて、極端に走るから、念頭に「?」を置いて観ることが必要だと思っております。
昨年のこと。
笹井良隆著 『大阪食文化大全』 を編集しました。
編集したのは、僕(池田光)ではなく、社員のエディター。
その関係で、中之島のリーガロイヤルホテルのセミナーの企画に携わりました。
企画している僕たちが、あまりに素敵なセミナーなので、
まず僕が「参加する!」、と当日のセミナー参加を申し込んだほど……。
すると、弊社のメンバーも「参加します」と次々申込みが……。
どんなセミナーかというと、次のようなものです。
ホテルに問い合わせると、まだ残席があるとのこと。
もし、参加されたら、会場で僕に声をかけてくださいね。
………………………………………………………………………………
【セミナー】大阪食文化セミナー 大阪の食を味わい尽くす<桜鯛>
とてもお得で素敵なセミナーのご案内です。
大阪食文化に関する面白く役立つお話と、桜鯛の特製弁当のひとときです。
●日時
5月13日 11時~13時 (受付10時30分~)
●会場
リーガロイヤルホテル ダイヤモンドルーム(ウエストウイング2階)
●内容
知っていそうで知らない大阪「食」の味と歴史。
今回のテーマは、桜鯛です。
一部【お話】浪速魚菜の会代表理事・笹井良隆さんをお迎えして、
大阪食文化の歴史や、桜鯛にまつわる船場の風習などを
お話いただきます。
二部【桜鯛のお弁当】お話の後は、リーガロイヤルホテル日本料理総料理長・
平野規元さんによる特製弁当をお楽しみください。
●料金
5,000円(桜鯛の特製お弁当付き、税サ込み)
⇒中之島のリーガロイヤルホテルで、講演とお弁当でこの価格は破格値です。
●講師 笹井良隆 (ささい よしたか)
NPO法人「浪速魚菜の会」代表理事。「食の都・大阪」推進会議メンバー。近著に『大阪食文化大全』。
●料理人 平野規元 (ひらの のりもと)
リーガロイヤルホテル日本料理総料理長、日本料理&バー「星宙」料理長。
●お申し込み・お問合せは …リーガロイヤルホテル エコールドロイヤル
TEL 06-6441-2938(直通) FAX 06-6448-0903
・ホテル無料送迎バスあり(JR大阪駅西側高架南寄り)
・京阪電車中之島線「中之島(国際会議場前)」駅直結
http://www.rihga.co.jp/osaka/culture/
大震災発生の、ほぼ同時期の3月14日から、
僕は個人事務所で、原稿執筆のために寝泊まりを開始しました。
昨年から、執筆準備として資料を収集し、これらに目を通し、分類などをしていたのですが、
いよいよ原稿執筆の段階となり、約30日間、事務所で泊り込んだのです。
5月の末頃には、『渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉』が書店に並ぶことになります。
さて、執筆の間、ずっとテレビをつけて、震災報道をチェックしていました。
・いま、緊急救援のために何をすべきか
・また大局から、どう復旧すべきで、どう復興すべきか
をずっと考えていました。
たとえば、どんなことを考えたかというと、
被災した県を中心に、「東北道」というくくりをつくって、
震災などに対して安心できる地域づくりと、
これまで以上の経済復興をすべきである
ということを前提にして、
・どんな構想を描くのか、
・どのようにステップでやるのか、
を考えていました。
(僕が思うに、県単位での復興をしようとすると、
小規模となって、震災以前よりも小さなところで終わってしまうと思う。
「東北道」というくくりで復興を考えてこそ、
同じコストでも大きな復興策が検討でき、
生活基盤の一つである経済復興が成り立つと思っています)
それと原発対策については、3/13から大きな危機感を持ち、
14には、僕の危機感は最大値になっていたのですが、
東電と政府の対応にはつねに唖然としていました。
というか、愕然としていました。
なぜ、国家レベルでの対策にしないのか、
できれば世界レベルの対応にしないのかと焦りを感じていました。
やっていることは、一企業に政府が介入しているレベルで、
すぐに福島に対策本部を移して、国主導で、世界レベルの対策をしてほしい、
そのために情報公開をしてほしいと3/14の週は展開を見守っていました。
横道にそれましたが、
そういうことを考えながら、
渋沢栄一が、83歳で関東大震災の復興にあたったことに思いを馳せていました。
10万人余も犠牲者を出した関東大震災では、渋沢栄一は、83歳という高齢にもかかわらず、
大震災善後会副会長、帝都復興審議会委員として陣頭指揮をとります。
『渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉』の執筆においては、
震災を考えながらとなり、
基層にそんな思いをいだきながら書いたので、
直接ではないにしても何となく提言がにじみ出たものになっているようにも思います。
このように一方で別の問題意識を持ちながら執筆するというのは、僕には初めての体験でした。
以前、『論点論語』というか、『イッシュ論語』がほしいなあ、
とプログに書きました。
こんな論語です。
『論語』の各章(言葉一つずつ)の「論点」を明確にして、
『論語』の深さが味わえる本。
・論語の言葉(白文と訓読)
・論点(ここがポイント)
・口語訳(論点によって、代表的な口語訳を2~3点掲げる)
・解説と著者の見解(著者の口語訳)
ないなら、僕が書くぞ、という勢いだったのですが、
すでにありました。
合山究〔著〕『論語解釈の疑問と解明』明徳出版社 です。
この本は、絶版でなかなか入手できないと思いますが、
素晴らしい本です。
僕は、初学者が『論語』の面白さがわかるには、
よくある、簡単な口語訳なんかではダメで、
論点を明確にして、あんな解釈もある、こんな解釈もあると
くわしく書かれている本がいいと思っています。
『論語解釈の疑問と解明』は、初学者にこそ読まれるべき本でしょう。
明治の俳人・正岡子規の名著『病牀六尺』という
小さな本があります。
その中に、
「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解して居た。
悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、
悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
という一節があります。
この言葉の含蓄の深さにじわじわと感動しつつあります。
悟りとは、いかなる場合にも、平気で生きること。
日常の平穏なときには誰でも平気で生きることができます。
しかし、日常ではない、特別なときに、平気で生きることができるかどうか‥‥‥。
・入学試験や、オーディションの当日
・何百人もの人前でスピーチするとき
・余命何カ月と死病を宣告されたとき
・死の瞬間
悟っている人は、それができるのです。
いかなる場合にも、平気で生きること。
これを、平常心と言い換えることができます。
子規は、結核の死病のなかで、
平気で生きることの偉大さを痛感したものと思います。
■五十沢二郎 『絵入 新約列子』を読む
古本屋さんに注文した『絵入 新約列子』が本日届いた。
さっそく、読む。
面白い。
童話のようだ。というより、グリム童話とか、イソップ物語を意識しているのだろう。
川上澄生による16枚の挿絵は、
中世西洋の趣きなのだ。
中国古典の『列子』を童話のように訳し、
グリム童話を想起させるような挿絵を挟む。
なんという着想だろう。
僕は、ハマってしまった。
■ご連絡ください!
僕の心をつかんだように、
世の中には、五十沢二郎ファンは何人もいると思うのだ。
そこで、お願いです。
五十沢二郎を研究されている方、あるいは、コレクターの方、
ぜひ、ご連絡くださいませんか?
→連絡先 本心庵サイト www.honsinan.jp の「お問合せ」から
どうぞ、よろしくお願いします。
■もう、書きます!
ここ何日間か、「ブログ」とかいろんなものに逃げ(?)て、
執筆準備を怠っておりました。
3月中旬にはアップしないといけない原稿があるのですが、
別のことばかりやっておりました。
でも、もう、やらないと、締切りに間に合わなくなります。
一旦、「ブログ」とはおさらばします。
■やっと、仕事場が確保できる!
他方で、僕の個人事務所が
「本心庵」の商品 (本の在庫の山) でいっぱいで、
事務空間が極めて不快なものになっておりました。
で、事務所に行くのが億劫で、
そんなこともあり、ここ1カ月くらい、
自宅を中心に、その範囲からあまり出ずに、
だらだらと無為に過ごしておりました。
なんと「ブログ」を毎日書くという
小学生の頃の日記でもしたことがないようなことを
やってしまったのも、
そんなことが理由のひとつでした。
しかし場所問題も、ここ数日で解決します。
荷物というか、本の在庫を保管するよう、
マンションの一室を倉庫にします。
この倉庫代わりにする部屋は、
僕の事務所があるのと同じマンションにあり、
事務所が1階、
倉庫が3階という好立地になります。
移動作業は、2/6の予定です。
掃除や荷物運びで汗をいっぱいかいて、
気持ちをふっ切って、
原稿書きの体制づくりに邁進します。
そうそう、この倉庫ができるおかげで、
あと、また1万冊くらいの在庫スペースができるので、
「本心庵」の本づくりにも力を入れます。
品切れになっていた『神様の壺』も年内に増刷します。
ということで、がんばります。
■マーケットプレイスで『論語』を注文したら、どうなったか?
金谷治の『論語』(岩波文庫)は、
1999年に改訂されて、
100ページほど増えています。
(どう改訂されたかは、金谷治『論語と私』に
掲載されていますので、そちらを参照に)
さて、僕は、旧版の金谷治『論語』を持っているのですが、
改訂版が欲しくて、
アマゾンのマーケットプレイス(古本)で注文しました。
ちなみに、アマゾンには、
旧版の『論語』と、改訂版の『論語』がアップされており、
旧版のほうは、1円から出品されていますので、
送料を加えると、251円で買えます。
改訂版のほうは売れており、
マーケットプレイスでも500円くらいしますので、
送料を込めると、750円。
ほとんど定価と変わりません。
で、僕は迷ったのですが、
「非常に良い」という評価のものを
マーケットプレイスで注文したのです。
すると、送られてきたのは、旧版でした。
つまり、僕が持っている旧版の『論語』、
1円で売っている『論語』が送られてきました。
■なぜ、このような誤りが発生したのか?
2冊も同じ本を持っていてもしかたがありません。
僕は、すぐに、
「商品が違います。
旧版の『論語』が送られてきました。
新版と取り替えていただきたいのですが、
もし御店に新版がない場合は、
返品させていただけますでしょうか」
というメールを送りました。
すると、古本屋さんからは、
次のような返信が返ってきました。
読みづらいメールですが、
そのままを掲載します。
「アマゾンからのメール拝読いたしました。
私どもは本の表紙カバーにある出版社が指定した
asianコード「4003320212」をもとにアマゾンへ
出品しております。
但し、古い本にはasianコードがないので、
商品名を検索して、アマゾンに出品しております。
前者の場合、元払いで返品していただければ、
到着次第全額返金いたします。
後者の場合、着払いで返品していただければ、
こちらも到着次第、全額返金させていただきます。
以上、用件のみで失礼いたします。」
つまり、このメールには返品のことだけが書かれていたので、
新版と取り替えることはできない。
また、返品を受け付けるが、前者と後者の場合で、
対応が異なる、ということです。
さらに、お詫びの一言がなかったので、
商品が違っていたのは、古本屋さん側の責任ではない
ということが読みとれました。
ところで、何が前者で、何が後者なのか、ややこしく、
わかりにくい文章ですので、解説します。
【前者】本にasianコードがついていたら、
お客さんの都合で返品したのだから、
返品送料代は払わない、ということです。
【後者】本にasianコードがないものは、
お店の責任だから、
お客からの返品送料代を支払います、
ということです。
で、送られてきた『論語』を見ると、
旧版であるにもかかわらず、
asianコードがついており、
それは、新版と同じ「4003320212」でした。
つまり、購入側の責任となり、
返品送料は僕が持つということになります。
明らかに商品違いなのですが、
このような事態が発生したのは、
・出版社が改訂したにもかかわらず、
旧版と同じasianコードをつけていたから
・asianコードで出品手続きをすることが
当たり前になっているから
(確かアマゾンもその方法を勧めていたように思います)
ということで、
古本屋さんはちゃんと手続き通りに出品したのだから、
商品が違っていても、自店の責任ではないと考えていたのです。
すると、一番弱い購入者がツケを払わされることになります。
しかし、購入者(僕)にしても、
・ちゃんと新版『論語』のマーケットプレイスで注文した。
・古本屋さんのコメントは、何も書かれておらず、
旧版と分かる手掛かりはなかった。
(せめて本の発行日を記載してくれたら、旧版と
分かったのですが……。
ところで、現在も、新版『論語』のマーケットプレイス
に旧版が出品されています。
どこでそのことが分かるのかというと、出品者のコメントに、
発行日が1999年以前のものが記載されているからです)
ということで、僕は落ち度がなく、返品送料だけが科せられるという
ことになりそうなのです。
以上の、おかしな原因を書いて、古本屋さんにメールしましたが、
古本屋さんからは返信はありませんでした。
ということは、古本屋さんの対応は、購入者責任ということで、
「あなたが返品送料をもちなさい」
という一点で静観されていたということでしょう。
■古本屋さんの対応はどうだったか?
僕は、意を決して、切手を貼らずに返品しました。
同時に、次のメールを出しました。
「お世話になります。
お返事がございませんので、
取り急ぎ、着払いにて返品いたします。
後は、そちらでご判断していただければよろしいでしょう。
その判断に対して、当方は、対処させていただきます。
取り急ぎ」
数日後、古本屋さんからは、こんなメールが届きました。
「今回は全額返金しますが、
次回から購入されるときは、よく気をつけてください」
つまり、僕は、返品送料を支払うことなく、返金に成功したのです。
さて、これでめでたし、めでたしということかと、言うと、
そうではないように思います。
古本屋さんにとっても、実は大きな落ち度はありません。
規定通りに出品されています。
だから、古本屋さんは今回のことで、
一度もお詫びの言葉はなかったし、
また、「次回から気をつけろ」という一言を加えたのです。
アマゾンマーケットプレイスには、
こんなふうに、出品者も購入者も責任がないのに、
ツケを払わされるという事態が発生することがあります。
みなさま、お気をつけて。
『論語』を集めていて、
五十沢二郎の『中国聖賢のことば』(絶版)を知った。
読んで驚いた。
生き生きとした訳が『論語』に新しい命を与えたようで、
読む者の心境に響いてくるのだ。
一例をあげてみよう。
誰でも知っている『論語』の学而編第1章―――。
まずは一般的な訳から。
学んだことを、いつでもおさらいするのは、
とても嬉しいことだ。
志を同じくする友だちが、遠いところから来てくれる
のは、とても楽しいものだ。
人がわかってくれなくても気にしないのは、
やっぱり君子だ。(吉田公平「論語」より)
五十沢二郎はこんなふうに訳している。
自分で自分を知るということのうちに、悦びがある。
また、ひとが自分を知ってくれて、
はるかに心を寄せてくれるということも、悦びである。
が、誰が知ってくれなくとも不足におもわない人間は、
いちばん大きな悦びを知る人間である。
なんという瑞々しい訳なんだろう。
いったい五十沢二郎(いざわじろう)とは、どういう人なのか?
『中国聖賢のことば』のプロフィールには、次のようにある。
1903年神奈川県に生まれる。
慶応義塾大学中退。1930年やぽんな房を創立し、
文芸雑誌「古東多万」などを発行。
1935年「日本古典書目索引」を作製後、渋沢栄一・
阪谷芳郎の伝記編纂にたずさわる。
1948年疎開先の新潟県にて没。
著書に『伎道一夕』『東方古典叢書』『新訳列子』などがある。
慶応大学教授となった奥野信太郎は、その著『詠物女情』のなかで、
五十沢二郎の訳業をこのように評している。
かれ(五十沢二郎)はつねに青春の感情で中国の古典を眺め、
古典のなかに、みずからの青春感情を移入投影して、
古典を生き生きと若がえらせる魔術師であった。
と。
なお、『詠物女情』には、
『中国聖賢のことば』に淡々と記述されていた五十沢二郎の
プロフィールが、驚くべき事実をもって提示されている。
●中退について
「慶応義塾大学中退」(『中国聖賢のことば』より)
『詠物女情』によると、こういう理由だ。
床屋の娘に恋いこがれ、鮨屋の出前持ちになり、失恋の結果、
すがたを消してしまった三田の学生である。
つまり、慶応大生の五十沢二郎は、三田通りにあった床屋の娘に恋し、
その床屋の並びにあった鮨屋の出前持ちになった。
こうして知り合い、告白する機会を待ったのであろう。
しかし、その思いは成就しなかった。
五十沢二郎は、失恋の痛手から、そのまま姿を消してしまう。
なんと、そのまま大学まで中退してしまうのだ。
その後、27歳で「やぽんなむ書房」を創立するまでの
かれの形跡はわからない。
●死去について
「1948年疎開先の新潟県にて没」(『中国聖賢のことば』より)
『詠物女情』には、次のようにある。
終戦の後、かれ(五十沢二郎)はみずから命を絶って逝った。
僕は、しばし声を失った。
「没」という一語は、そのような事情であったということだ。
45歳であった。
なぜ、かれは自ら命を絶ったのか?
奥野信太郎は、
「かれはつねに青春の感情で中国の古典を眺め」
たと書いている。
45歳のかれは、おじさんではなく、いつも青春のなかに
いたのかも知れない。
それは、床屋の娘に失恋してすがたを消した心情の延長線
にあったということだろうか?
くわしいことは、何も『詠物女情』には書かれていない。
当時の新聞には、かれが没した記事があるだろうか?
調べてみたいとも思う。
あるいは、かれを知る人に会って、話を聞いてみたいとも思う。
誰か、五十沢二郎についての情報を教えてくれませんか?
もし、「五十沢二郎」の伝記があれば、読んでみたいものだ。
今日、出かけた帰りに本屋さんに立ち寄った。
その本が、僕の好きなサン=テグジュペリの言葉集であることと、
斎藤孝の訳ということで、
なんとなく手に取り、
ぱらぱらとめくった。
あるところで、ページを止めた。
生きることに意味を与えてくれたものは
死にも意味を与えてくれる。
とあった。
「生きることに意味を与えてくれたもの」とは何だろう…
「死にも意味を与えてくれる」ものとは何だろう…
「親愛なる人」という言葉が浮かび、
次に、「尊厳」という言葉が浮かんだ。
親愛なる人は、生きることに意味を与えてくれ、
死にも意味を与えてくれる。
尊厳は、生きることに意味を与えてくれ、
死にも意味を与えてくれる。
こんなふうに、黙考する次元にはまってしまったので、
その本を買うことにしたのでした。